真琴ご縁の”ミキミキさん”がご自分の過去の出来事をシエアしてくださいました。
人生波乱万丈という言葉がありますが、正にそのようです。(まだまだあったのでしょうが…)
頂いた命を、どのように使うのか?人生のテーマですが、私は2011年3月に起きた巨大津波と原発事故がきっかけで、音に関わる世界に入りました。
「私にできるお役目がありましたら、させていただきます…」
そして今、沢山の方と繋がることができ、イメージした世界を作る活動に入れました。 ありがとうございます。
以下ミキミキさんの文章です。
私の両親は浅草生まれの浅草育ちの江戸っ子。
父の家は裏は吉原、鷲神社があり、商店をしていたので、酉の市では一家&従業員総出で手伝いにいってました。
毎年この時期にぎわっていた頃の裏のドラマを思い出します。
母の家は、母が幼いころに足立区に越したようですが、亡きお祖父ちゃんが江東区の風呂屋で母親に捨てられ拾われた先のご夫婦が浅草だったようです。
愛知の知多から浅草に出てきたこなしの夫婦が助けてくれたようです。
...
浅草で今戸焼きをしていた陶芸家で、いまでいうと宮内庁ご用達になるほどの焼きをする方が曾祖父ちゃんにいたそうです。芸大にもまだかざってあるのでしょうか?
お祖父ちゃんは結果的には売り歩く営業が嫌だったようで、あとを継ぎたくないことを伝えれると、怒られるどころから「では、そのかわり人の役に立つ仕事に就区なら今戸焼を継がなくてもよい」と言われたようです。
そして「いのちの貴賤に上下なし」とどんな人も助ける仕事として消防士になることを伝えると、「ならばその仕事生涯貫き通しなさい」との返事をもらい、お祖父ちゃんは最後まで消防士魂で生き抜きました。
学歴もなかったお祖父ちゃんは消防署長にまでなり、火事の出荷原因を特定し判定する仕事を長きにわたりしていたようです。
さて、私が今のような仕事をすることになったのもそのお祖父ちゃんのおかげです。
江戸っ子で「飲む・買う・打つ」が大好きな父が博打で借金をこさえて、当時住んでいた億の豪邸を一晩で借金の方にいれてしまったのです。
そんなことも知らないで学校から家に帰宅すると、知らない強面の人が家にいて、退去命令をだされ、手にできる学校の荷物のみもって、すべてを置いて家を出ていくことになりました。
まぁこのおかげでものに対する執着や、小さい時から大事にしていた様々な荷物に対しての愛着やらが手放せたのでよかったですけれど。
それで行く当てのなくなった高校2年生の私だけをお祖父ちゃんが引き取ってくれました。
「こどもには罪がない。子どもは未来の宝だ。男は自分でいのちを切り開け。女は守るべく存在が必要だ。親は自分の播いた人生だ自分で刈り取れ、嫁に行った人間なのだから我が家の敷居は二度とまたぐな」
「寝て休むところ食べるところは与えられる」と厳格なお祖父ちゃんは私と母に伝え、私だけ引き取り、布団1枚引けるスペース1帖をあてがってくれた。
そのお祖父ちゃんは「お前だけは許せよ」と毎夜毎夜私の顔を見ては伝えていました。
さて、そのお祖父ちゃんがお嫁に行って1年ほどで他界するわけですが、そのお祖父ちゃんが7回忌の枕元に顕れ、3年連続で私に語りかけたことがきっかけで、その思いを継いで、いまの生き方をすることになったわけです。
最近お祖父ちゃんの声が聞えます。「みきやみき、書けよぉ」「みきやみき、歌えよぉ」
枕元で昔言われたのが
「みきやみき、子どものことをやってくれないか。これからのこどもは自分が愛されていないと感じたまま死を迎える時代ではない。
どんな子もどんな人も愛されていることを識って旅立つ時代が来るんだ。自分の子も自分の子でない子もお前は愛せよ。
お前のところに来る人は、みな助けろよ。いのちに貴賤の上下はないんだぞ。そしてよく観ろよ。助けるということを間違えるなよ。
お前がこのことをしてくれるなら、祖父ちゃんはこの世でみんなと一緒にお前を守るぞ。どうかな、やってくれるかな」
お祖父ちゃんが逝ってから17年。交渉を持ちかけられてから10年。
まだまだ何もできてないけど、頑張るね。
もうすぐこの11月父が他界して3年。11月は切なくなるなー。
生きている時間を楽しみます。味わい深い人生に感謝です。
ミキミキさん♪ シエアありがとうございます。